マディ

マディについての情報

このページは 2007年 09月 16日 17時57分40秒に巡回更新されました。
 ベル恐怖症

【 49】 マディチョコ Profile&History

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[引用サイト]  http://homepage1.nifty.com/muddychocolate/muddy/profile.htm

昔々京の都に、『杉○輪業』という自転車屋があった………。と、物語のプロローグのような始まりだが、とにかく自転車屋があった。当然客がいた。しかし、そこの客は他の自転車屋の客とはどこか違っていた。スポーツ車、特にマウンテンバイクが好きな連中だったが、当然そんな客は他の店にもいる。しかし、明らかに違った。それもそのはず、連中のほとんどは、その個性故に他の店でつまはじき、いや、どちらかと言えば他の店を見限ったと言った方が正しいだろう連中だった。そこは、そんな連中が集まる店だった。年齢層、職業はバラバラであったが、その連中は毎日何をするわけでもなく、ただ店にたむろっていた。
あるときその連中で、レースに出ようという話になった。そのレースのエントリー用紙には、チーム名を書く欄があった。そのときに店の名前をモジって『SUGYS(スギーズ)』という名前を付けた。その時を境に連中は、『SUGYS』を名乗るようになった。その後、チームのスタイルを現す為に、接頭語として
Bike Fanatic Team 略してB.F.T. を追加し、『B.F.T.SUGYS』とした。そして、そのレースと言うのがW.L.主催の『1997 3th 12hエンデューロ』であった。『B.F.T.SUGYS』は、Tamon,Yukimasa,Kiyo,Macoto,Tetsu の5人をチームとし、レースにエントリーした。ところが、レース直前に Kiyo が負傷欠場してしまい12時間を4人で走らなければならない。しかし彼らは、デビュー戦にもかかわらず、他をまったく寄せ付けない速さで、見事総合優勝を勝ち取った。こんな華々しいデビューを飾った『B.F.T.SUGYS』だが、この後目立った成績を残すことが出来なくなった。それは、1998春の出来事だった………。
『MUDDY CHOCOLATE』は、先に書いた『B.F.T.SUGYS』を前身とし、改名したものである。では何故、改名する必要があったのか?というのが前文の続きとなる。
1998 春の岩岳の遠征から戻ってきた面々に、衝撃の事実が告げられた。それは何と、『杉○輪業』が店じまいするということだった。(当時いろいろな噂が飛び交ったが、いまだに原因の真相は不明である。)その話を聞かされ皆一応に驚いたが、結構楽観的に受け止め案外すぐ落ち着いた覚えがある。しかし元々他の店で束縛されるのを嫌い、この店に流れてきた連中なので、この一件でたむろする場所を失ったことにより散開し兼ねない。それを恐れた一部の人間は、ある一案を思いつく。それは、今の状態を『チーム』という一つの『形』をもって維持していこうというものであった。なら、このまま『B.F.T.SUGYS』でやっていけばという気もするのだが、元々この『SUGYS』という名前は、前文でも書いたとおり、店の名前をモジったものすごく安易な名前だった。店があったときはそれでも良かったが、それが無くなった今、これからチームを独り立ちさせるには、ふさわしくない名前だという考えがあった。それを踏まえて付けられた名前が『MUDDY CHOCOLATE』だった。
『MUDDY CHOCOLATE』という名前はどのようにして名付けられたのか?これは、マディチョコのメンバーさえもあまり知らない裏話である。
これらの条件を全て満たすために、TamonとMacotoは色々意見を出し合いながら、五条通りから自転車道を南下していった。2人であーでもない、こーでもないと夢中になっていると、気付けば八幡だった。八幡まで行ってもこれといったものが出てこず、しょうがないので自転車道を逆戻りしながら考えることにした。ところが、五条まで戻ってきても考えがまとまらない。そこで2人は、Kiyoを巻き込むべくKiyoの部屋を襲撃。Kiyoの部屋でも長考が続いたが、Tamonの一言から一筋の光を見いだす。それは、『泥』という言葉だった。この『泥』という言葉を条件@に当てはめ、条件Aに当てはまる言葉を『泥』から連想することにした。そこから『チョコレート』という言葉が出てくるまでさしたる時間はかからなかった。この二つの単語をまとめて、『泥のようなチョコレート』=『MUDDY CHOCOLATE』となった訳である。
実は、以上の文章を読んで分かるとおりTamonとMacotoが勝手に苦悩し、またその独断と偏見で決まった名前と言っても過言ではない。(といっても、他を考えるのがめんどくさかったのか、メンバーの反対意見はなかった。)
1998 初夏の飲み会でMacotoからある発表があった。まず、先の文に書いた通りメンバー約30人がバラバラにならないように、『チーム』という『形』を作ること。そして、そのチーム名を『MUDDY CHOCOLATE』とすること。更に、チームジャージの製作を考えていること。又、そのチームジャージのイメージ画の発表であった。イメージ画は好評で、それを元に本格的にデザインにはいることになった。ところが、イメージ画があるにもかかわらず、デザインは難航を極めた。その理由として、ジャージメーカーの問題があった。最初は、SUGOIで製作を頼もうと思っていたのだが、イメージ画を見せたら「こんな複雑な柄は出来ない。」という返事が返ってきた。また、製作ロットもサイズ毎に最低20枚〜か何かで、こちらの希望と合わなかったので、SUGOIはやめることにした。これがまず一つ目。そして、もう一つ理由があった。それは気候的な問題で、本格的な夏を迎えてしまったことである。デザイン活動は主にKiyoの部屋でやっていたのだが、実はKiyoの部屋には冷房器具がなかった。そんな部屋で頭が働くわけがない。あえなく、夏の間はデザイン活動を休止することにした。ところが、夏が過ぎ芸術の秋が来たというのに、デザイン活動を再開する気配はなかった。そうしているうちに、秋が過ぎ寒い冬がやってきた。案の定Kiyoの部屋には、暖房器具もなかった。そんな部屋では手がかじかんで思うように動かない。などと言っていてはキリがないのはわかっているが、再開までには至らない。そんな状態で、1998忘年会を迎える。当然のことながら、Kiyo&MacotoはメンバーからPUSHされ再開を決意。そんなこんなで、1999 1月末デザイン画をSANTINI(イタリア)に納品。そして1999初夏、一年越しの計画が形になったのである。それが、最近あちらこちらのレース会場に出没する、紅いシマウマである。
ここまで書いた文章を読まれた方は、レーシングチームのように思われたかもしれないが、『MUDDY CHOCOLATE』の活動はあくまでファンライドである。当然メンバーは、それぞれ仕事をもっているので、主な活動は日・祝日となる。(一部不確定な休みの人の平日組もある。)その休みの日に、山に入って山を楽しむ。言うなれば、マウンテンバイクという荷物をもったハイキングである。(幸い京都は3方が山という恵まれた環境にあるので、無駄な移動時間も少なくてすむし、走る場所にも不自由しない。)これが『MUDDY CHOCOLATE』の本質である。従って、レースというものはファンライドの延長であり、遊び程度にしか思っていない。だから、レースの為にトレーニングはしていない。(個人的に、趣味や体力維持の為にトレーニングしている人はいるかもしれないが。)又、レース参加の強制も一切していないし、特に会費も集めていない。では、何故レースで好成績を残せるのか?マディチョコの活躍を知っている人は、そう思われるかもしれない。その答えとして考えられるのは、まずマウンテンバイクが好きであるということ。これは一番根本的かつ、ばかばかしくも大切なことである。これを踏まえて、走りのことについて言えば、メンバーのほとんどが下り好きなのである。これが耐久レースやクロスカントリー(以下XC)では、大きなアドバンテージとなる。しかし、下りだけが速ければいいってものでもない。なぜなら耐久やXCには上りもあるからである。その点でいうと、マディチョコのメンバーは皆それなりに上れる。先にも書いたとおりマディチョコのメンバーは下り好きである。しかし、上らなければ下りが無いことも知っている。車で頂上まで自転車を運んで、下りだけを楽しむ登らないダウンヒラー(以下DHer)もいる(それも一つの楽しみ方ではある)が、マディチョコはそうではない。46丁のシングルギアのDHマシンだろうが、シートが高くハンドル巾のせまいXCマシンだろうが、その日乗ってきたマシンで上りも下りもこなすのである。それがマディチョコの強さにつながっているのかもしれない。しかし、マディチョコには上りや下りのスペシャリスト的な人はあまりいない。言うなれば、みんながみんなオールラウンダーなのである。従って耐久レースでの入賞率はかなり高い数字を誇っている(と思う)。現に年間を通して参加するのが多いのは耐久レースなのである。逆にDHやXC等の個人種目は参加回数も少なく、又、入賞は片手で数えられるほどである。特にDHでは、下り好きチームとは名ばかりのありさまである。一方XC系の種目はというと、好成績という言い方をすれば、大健闘の成績なのだが、あと一歩というところで入賞を逃すケースが多い。そんなマディチョコの中で90%以上という高い入賞率を誇っているのがKaoriである。ちなみに正規メンバーでは唯一の女子である。それにしても素晴らしい成績である。私を含めた野郎共も見習わなくては………。と言っても、結果は二の次。楽しめればそれでOKってカンジーみたいな。最後は言い訳がましくなったが、あくまでもファンライドがモットーである。
ここ数年の活動を撮影したものを、72分にまとめたビデオ。言わば、マディチョコのプロモーションビデオである。内容は普段のツーリングの風景と、レースに参加したときのもの。なお現在Issue2の為に映像を貯めているので乞う御期待。
今後どうするつもりかはわかりませんが、今のところメンバーが主に観覧しているホームページとなっております。目玉は何と言ってもリンク集。フレームメーカーやパーツメーカーはもちろん、UCI等の組織関係、海外通販サイトまで、マウンテンバイクに関するホームページは、もうショップに行ってパーツカタログを見なくてもほとんどジャンプできます。より良いH.P.にしようと日々思案しておりますので、乞う御期待。
このチームプロフィールを読んで、『MUDDY CHOCOLATE』のツーリングに行ってみたい、一緒に走ってみたい、一度宴会に顔を出したい、レースの応援(サポート)に行きたい、いっそのことメンバーになりたいと思った人。プロフィールは一切問いません。マウンテンバイクが好きならOK!ぜひ【BBS・GUESTBOOK】にてお知らせ下さい。(特に女の子ヨロシク!)又、レース会場で見かけたら、熱い声援を御願いします。
04‘ マディチョコレートからレーシングチームが発足しました。 ジャパンシリーズの会場にいますので,応援のほどよろしくお願いします。
05‘ 04年度レース活動が終了にともないレーシングチーム体制は解散し、レース活動は個人活動となりました。
エキスパートDHライダー清塚力哉 、エキスパートXCライダー三村元基がプライベーターとしたJシリーズ参戦しています。

【 50】 マディ・ウォーターズ (MUDDY WATERS)

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[引用サイト]  http://yi355.cside.com/img_2/muddy.html

|アン・アーバー・フェス|ハウンド・ドッグ・テイラー|ココ・テイラー|ボビー・ブルー・ブランド||ハウリン・ウルフ|マディ・ウォーターズ|フレディー・キング|ルーサー・アリスン|オーティス・ラッシュ|
Born:1915 : Died:1983この人も多くのレコードがあり、確か10枚組くらいのセットもあると思います。ですから、ここで紹介するのはほんの一部です。ブルースのみならず、ロックミュージシャンにも多くの影響を与えた人で、エレクトリックギターでのボトルネック奏法の開拓者です。彼のバンドからは多くの一流ブルースマンが育ちました。1915年生まれのマディ・ウォターズ(本名:マッキンリー・モーガンフィールド)は、43年にシカゴへ出ます。45年にはいとこのブルースマンであるジェシー・ジョーンズを通じて、強力な相棒になるギターのジミ−・ロジャースと出逢います。ジミー・ロジャースは最初ハープも吹いていました。お決まりのようにハウス・レント・パーティーやクラブなどに出たりしていました。この頃にサニー・ボーイ・ウィリアムソン1世(ジョン・リー・ウィリアムソン)と仕事をしたりしています。サニー・ボーイ・ウィリアムソンは37年にすでに録音をしていますから、10年くらいも先輩になります。また、この時にサニー・ボーイ・ウィリアムソンと組んでいたのはピアノのエディ・ボイドでした。サニー・ボーイ・ウィリアムソンはすでにアルコールに溺れていました。よくある事です・・・マディ・ウォターズは46年頃から録音を始めていますが、リリースされたのは48年になってからです。ベースのビッグ・クロフォードと二人だけの録音ですが、47年録音の「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」は48年にやっとリリースされて、初回のプレス3000枚を2日間で売り上げ、マディ・ウォターズは一気に有名人になります。前述のように、この頃録音された曲はほとんどがリリースされないか、遅れてリリースされました。1年戻り47年にはまだ無名のままのマディですが、サニー・ランド・スリムの口利きで、やっとアリストクラット(後のチェス・レコード)で仕事が出来るようになりました。この時のサニー・ランド・スリムの「ジョンソン・マシン・ガン」は、マディのサイド・ギターとビッグ・クロフォード(当時はメンフィス・スリムのべースをやっていた)のべースで録音されました。マディ自身もメインで録音しますが、相変わらず認められませんでした。R&Bやジャンプ・ナンバーがヒットし、ナット・キング・コールのような洗練されたボーカルがうけていた都会のシカゴでは、マディのようなスライド・ギターのカントリー・ブルースのスタイルは売れないと思われたんでしょうね。ちなみにこの時のサニー・ランド・スリムの「ジョンソン・マシン・ガン」とマディの「リトル・アンナ・メイ」のテイクはかなり素晴らしいと私は思います。バンドの方はすごい進歩で、この年にはまだ18歳のリトル・ウォルターを加え、ドラムのリロイ・フォスターとジミー・ロジャースの4人でシカゴ最強のブルースバンドを結成しています。52年にはリトル・ウォルターが『ジューク』のヒットを出して、バンドからは独立していきまが、その後もレコードには参加しています。後釜には翌年に、ビッグ・ウォルター・ホートンが入りますが、繋ぎでジュニア・ウェルズもやっています。この二人もシカゴを代表するハーピストです。53年にはビッグ・ウォルター・ホートンのハープでマディ最大のヒット、『フーチー・クーチー・マン』を出します。この頃、ピアノのオーティス・スパンが加入して、シカゴ・バンド・ブルースとして頂点に達したと言えるでしょう。
今考えても実に強力なメンバーです。 よくハウリン・ウルフ のバンドと比較して聴いてしまいますが、私が感じるのはマディのバンドは南部のスタイル、雰囲気、その他いろいろなものを、そのままシカゴの持ってきて電気化したバンドと言う印象で、ウルフのバンドは常にウルフのボーカルを最大に活かせる構成と言う気がします。※当初の録音は『アリストクラット』でのものです。後にチェス兄弟が・『チェス・レコード』を1950年に設立しますが、その時に『アリストクラット』は吸収されています。
同じようなのを探してますが、沢山ありすぎて重複する曲が多く、これに近いものがなかなかありません。そこそこ近いものです。ベスト・オブ・マディ・ウォ... 最近見つけたのですが、以前から南部での録音(チェス以前)があると聞いていました。それは1941年に行なわれた国会図書館のフィールド・レコーディングで、ロバート・ジョンソンの録音をしに南部を訪れたものです。ところがロバートはすでに死亡していて、代わりにと探したエルモア・ジェームスも見つからず、マディ・ウォーターズ(すでに南部ではこう呼ばれていた)に声がかかったと言う事です。その時のレコーディングがCDになっていました。これはマディの自宅の玄関先で行なわれたもので、とても雰囲気が良くまた貴重なものです。翌年も行なわれ、この時は地元の仲間と一緒にやっており、それもこれで聴けます。計14曲くらいですね。その翌年にシカゴに出るのですが、チェスと出会うまでの二度のレコーディングも収録されています。Muddy Waters 1941/1946
7:LONG DISTANCE CALLシカゴブルースのボス、マディ・ウォーターズの初期の録音を集めたもので、47年から51年までの録音です。半世紀以上前ですね。年代順に入っていて、50年からはブルースハープの変革者、リトル・ウォルターも加わり、シカゴ・バンドブルースの原点と言ってもいいと思います。最初に書いたように、47年録音の「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」が48年にやっとリリースされて、コンスタントに録音が出来るようになった頃ですね。私の場合弾き語りの曲などはあまり聴かず、なるべくバンドでやっているものを聴いた方ですが、むしろ最近は弾き語りの方に傾倒している感じです。
同じようなのを探してますが、なかなかありません。そこそこ近いものです。 His Best: 1947 to 1955 かなり広範囲で3枚組があります。これはマディを知るには良いと思います。The Chess Box
ジャケットのデザインが、『これ以上無い程に悪趣味』と酷評されたシリーズです。私は親しみが持てて好きでしたが・・・。それはさておき、内容は良いです。48年から64年までのベスト盤ですが、上記アルバムとは4曲程の重複です。
ベスト盤などにも何曲か入っている、ライブの名盤『ニューポート・フェス・ライブ』です。かなり安く出回っています。超おすすめ盤At Newport
9.Goodbye Newport Bluesギターに名手パット・ヘアーも参加。ハープはジェームス・コットン。もちろんピアノはオーティス・スパンといった充実したマディ・バンドの1960年の有名なライブ盤です。
彼を敬愛するロックギタリスト、ジョニ−・ウィンターが晩年のマディをサポートしたツアーでのライブです。ジェームス・コットンのバンドからも応援が出てます。勿論コットン自身も参加しています。79年のライブですから、64才でしょうか。年齢を感じさせない熱演です。本人もかなり気分良くやってる感じが伝わります。

【 51】 美しいダノワーズとタルティーヌ、惣菜パンの魅力 パティスリーマディ代官山 - [パン]All About

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[引用サイト]  http://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20050908A/

ことを友達に話すと、「この間の講習会でマディの松原さんは雑誌のかたちのパンを作られていましたよ。」と教えてくれたのがきっかけで代官山のパティスリーマディを取材しました。OPENは7年前だけれど、All Aboutのベストパン人気投票でも毎年票が入る人気店です。
雑誌をくるくるとまるめたような素敵なかたちのマガジーヌはザクっとした食感。チョコレートが通常の2倍。普通のパン・オ・ショコラではチョコレートが足りない、と思っている方におすすめです。
マガジーヌの隣で負けずに美味しそうな表情をしていたのがダノワーズマロン。マロンクリームを詰めたサクサクのデニッシュで、こちらはスーシェフの塩塚雅也さんの作品。そう、思わず作品と呼びたくなってしまうパン達です。
ランチタイムお昼時になると惣菜パンの焼き立てがどんどん並んでいきます。マディの地下にはパンとお菓子の工房があって、たくさんの職人さんが働いています。作りたてのパンやケーキが店頭に並び
、系列のカフェにも運ばれます。ハード系の食事パンからダノワーズまでこれだけ揃うのはここ代官山店のみ。
スイートロール生地にナスやドライトマトを使ったトリコロールナス、ピリ辛レンコンとチキンのロータスなど、昼時にはお惣菜パンがたくさん並びます。
キッシュクロッカン併設のカフェではここならではのアボカドとチキンのタルティーヌがおすすめ。たっぷりの野菜の下にくるみのリュスティックが隠れています。プチトマトは熱々にグリルされています。ブリオッシュをサイコロ状にして抹茶や大納言、さつまいもの甘露煮やくるみなどとあわせてカリカリに焼いたクロッカン2種は塩塚さんの新作。
昨年彼はカリフォルニアレーズン協会のコンテストで世界一に輝きました。その作品、レザン・ヴェールはグランマニエ漬レーズンとピスタチオを練りこんだクーヘン生地にクリームチーズを折り込んで焼き上げたもの。このパンも店で販売されています。
松原さんの後輩としてマディのスーシェフに就任した塩塚さんのつくるダノワーズの美味しさも見逃せません。
東京・渋谷で30年以上にわたって革鞄をつくり続けているヘルツ(HERZ)から軽量レザーバッグが登場。使うほどに革が馴染んで、色に深みが増してくるのがレザーバッグのよさですが、重いのが難点。そんな革鞄の固定概念をくつがえす、軽量ショルダーバッグが完成。本体からストラップまで総革製なのに、約300グラムの重さしかありません。ここまで軽いバッグは、めったにないはずです。
秋刀魚・ナス…秋味レシピ旬の素材はたくさん食べたい!秋刀魚・ナス・きのこ の美味しいレシピ集です

【 52】 Amazon.co.jp: ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ: 音楽: マディ・ウォーターズ

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[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/a??a?1a??a?≫a?aa??a?≫a??a??a?£a?≫a?|a?ca??a??a??a?o-a??a??a?£a?≫a?|a?ca??a??a??a?o/dp/B00005GSSD

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   シカゴブルース界の大立て者、マディ・ウォーターズ。その48年から54年の代表曲を集めた、歴史的名盤である。    ミシシッピの農園からとび出して、シカゴブルースの王者に君臨したマディ。シカゴという都会で、いかに独創的なブルースバンドを完成させていったのだろうか? その答えがこのアルバムには詰まっている。    ベースのビッグ・クロフォードを従えただけのや、リトル・ウォルター、オーティス・スパン、フレッド・ビロウといった驚異的なメンバーがそろうなど、モダン・シカゴブルースの精華が楽しめる。(永田 清)
マディ・ウォーターズのみならず,モダン・ブルース史上に輝く屈指の傑作アルバム。アーバン・ブルースの原点がここにある。代表作の7を始め,1や5など,どれをとっても彼の神髄が随所に発揮された演奏と歌が続く。別テイク2曲のオマケも嬉しい。
あなたのレビューがサイトに載ります。 ※ カスタマーレビューは他のお客様により書かれたものです。ご購入の際はお客様ご自身の最終判断でご利用ください。
この作品についてのレビューは極めて難しい。なぜ難しいかというと、言葉が見つからないからである。なぜ言葉が見つからないかというと、言葉にする必要がないからである。なぜ言葉にする必要がないのかというと、それは、あまりにも肉感的で、かつ思いっきりストレートな内容だからなのだ。結局、ただ一言、「聴け!!」と言っておくのが実は最も相応しいのではないかとも思ったりもするのだが、そうも言っていられないので、掻い摘んで次の点を強調しておきたい。本作はブルースのあらゆる名盤の中でも屈指の名盤である。この豪快さ、この奔放さ、そしてこの繊細さ!! この場を借りて断言しておこう。これこそブルースの真骨頂だ。そしてここにこそ、ブルースの真髄がある。シンプルなサウンドだからこそ!マディの素晴らしさが直接的に堪能できる。ギターとハープの絡み方もこれ以上ないと思えるくらいに素晴らしい。はっきり言って、この世のものとは思えないくらいなのだ。さて、もういいだろう。あとは聴くだけ、だ。
「ベスト・オブ」と名のつくアルバムは数多くありますが、これこそ真にその名に値するものです。マディ・ウォーターズのひとつのピークがここにあります。初期のアコーステッィクから離れ、エレキに自分の本質を見出した喜びの時期といえるかもしれません。1950 年前後に録音されたこのアルバムには、その後独り立ちした、また、ブルース界の重要なミュージシャンが参加しています。Jimmy Rogers はマディ・ウォーターズのバックマンとして出発しました。また、Otis Spann、Willie Dixon のその後の活躍はあまりにも有名です。Little Walter のブルース・ハープも聴けます。これからブルースを聴いてみようかと思う方へも、また、ロックは聴き飽きた(?)という方にも、お薦めです。魂の音楽を再発見する一枚になるでしょう。
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